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見える歴史 vol.17 「小笠原諸島の返還」

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見える歴史 vol.17 「小笠原諸島の返還」

今日は世界遺産小笠原諸島が日本に返還されて49年目です。現在もアメリカ軍基地を抱えている沖縄がアメリカの施政権下にあったことを知っている人は多いと思います。小笠原諸島をはじめ伊豆諸島や奄美群島などの島しょ地域は、沖縄と同じようにアメリカに占領されていたのです。
小笠原諸島の父島と母島では、毎年この時期に返還祭を開催しています。歴史コラム第17弾のはじまりです。

【今日は何の日】 「小笠原諸島の返還」

1968年6月26日の正午、太平洋戦争が終結後、サンフランシスコ平和条約によって、アメリカの施政権下に置かれていた小笠原諸島が日本に返還されました。
1945年から23年間におよぶアメリカ合衆国による統治時代の終焉です。

戦前は欧米系島民、内地や八丈島から移住した人々が暮らしていました。
戦後、アメリカ施政権下の小笠原諸島は、欧米系島民のみ帰島が許可されました。欧米系島民以外の旧島民はGHQに帰島を求めましたが、帰島の許可はおりませんでした。

当時、島にはアメリカ海軍基地が設置され、物資はグアム島から運ばれていました。島の子どもたちは1956年に設立されたラドフォード提督初等学校で学び、高等教育はグアム島でおこなわれました。
ラドフォード提督初等学校は、日本復帰後に小笠原村立の小学校と中学校になりました。
現在、都立大神山公園のお祭り広場にはラドフォード提督初等学校の記念碑が設置されています。

1950年以降から、吉田茂首相は各国代表と返還の交渉を進めました。1954年4月のサンフランシスコ平和条約では、アメリカによる小笠原諸島の行政、立法、司法の行使が定められましたが、日本の主権放棄は規定されませんでした。
したがって返還までの間は潜在的な主権を持ち続けることができたのです。これによって住民は日本国籍を維持することが可能になりました。

次第に返還を支持する世論が高まり、帰島運動が活発化し、佐藤栄作首相とジョンソン大統領が1967年11月に会談、小笠原返還協定が締結されました。
返還後、1994年までアメリカ沿岸警備隊が駐留しましたが、現在、米軍は全て撤収しています。

昔から小笠原諸島は様々な国の人が一緒に暮らしている島でした。現在でも欧米系島民、旧島民、新島民が協力して暮らしています。
アメリカ人の最初の移民とされているナサニエル・セーボレー氏一行が小笠原諸島父島に入植したのは、返還より138年前、1830年6月26日のことでした。

歴史には日付や年代など時間の偶然がよくあります。直接的な結びつきはなくても歴史のおもしろさのひとつです。
(日付は新暦です)

【今日のことば】 “沖縄の返還なくして戦争は終わらない”

佐藤栄作首相の言葉。
小笠原諸島返還から遅れること4年、1972年に沖縄は返還されました。
返還されても沖縄には「基地問題」が残りました。

【今日のことわざ】 “一視同仁”

意味は 「出身や身分や敵味方に関わらず、どんな人であっても平等に接する」 ということです。

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