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見える歴史 vol.19 「サラエボ事件」

約 3 分
見える歴史 vol.19 「サラエボ事件」

103年前に起きたサラエボ事件。第一次世界大戦のきっかけとなった暗殺事件です。世界的な不況のなかで自国の植民地政策や各国との同盟関係で保っていた非常に不安定な国際状況を、このひとつの出来事が、民族関係を無視して自国の利益を最大限に尊重した政治の継続として戦争というカードを切らせたのです。
民間人を合わせて死者およそ3700万人が犠牲になった第一次世界大戦の入口、歴史コラム第19弾のスタートです。

【今日は何の日】 「サラエボ事件」

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の後継者フランツ・フェルディナントとその妻のゾフィーが、ボスニアのサラエボを外遊中に暗殺されました。
犯人はボスニア出身のボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプを中心としたグループでした。

6月28日はセルビア人にとって重要な祝日でした。さらに1389年に起きた戦争でオスマン帝国に敗北し服従した日でもありました。
しかし、オーストリア当局は6月28日をサラエボ訪問の日程に設定し、サラエボに住むセルビア人の神経を逆撫でしました。
この日はフランツ・フェルディナントとゾフィーの14回目の結婚記念日でもありました。

オーストリアとセルビアの関係は1881年にさかのぼります。
当時、オスマン帝国に服従していたセルビアは、隣国のボスニアなどを強い影響力を持っていたオーストリア=ハンガリー帝国と接近して、オーストリアに保護を求める密約を結びました。6月28日の出来事です。

その翌年、オーストリアの承認のもとでセルビア王国を建国。しかし次第に両国の関係は悪化し、オーストリアがボスニアなどを完全併合したことで、両国は決定的に決別することになります。

セルビアやボスニアがあるバルカン半島多民族が暮らしている地域で、民族関係を無視した併合に、多くのボスニア系セルビア人が反対していました。

その中で起こった暗殺事件
結果、オーストリアは、暗殺事件の責任があるとしてセルビアに宣戦を布告します。
バルカン半島に影響力を持っていたもう一つの大国ロシアが介入。
ロシアの参戦を受けて、オーストリアと同盟国のドイツが参戦しフランスに宣戦布告。
ドイツと制海権を争っていたイギリスはドイツに宣戦布告し、イギリスと同盟を結んでいた日本も参戦。
ドイツの攻撃を受けたアメリカが参戦し、4年間にもわたり全世界を巻き込む初めての大規模な戦争、第一次世界大戦が始まるのです。
(日付は新暦です)

【今日の名言】 “戦争とは他の手段をもってする政治の継続である”

19世紀、プロイセンの軍人クラウゼウィッツの言葉。
政治は戦争の暴力性や形態を決める重要な要因です。

【今日のことわざ】 “暴を以て暴に易う”

意味は 「相手の暴力に暴力をもって対抗する」 ということです。
これでは絶対に解決しないのです。

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「mobile」=移動式

「ex」=体験

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