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見える歴史 vol.30 「時代を駆け抜けた坂本龍馬の想いとは…」

約 3 分

7月13日の出来事はたくさんありましたが、坂本龍馬にまつわるものがあれば、はずすことができないように感じました。彼の人生を簡単に説明しています。いつの時代も「せんたく」しようとしている人たちの時代は激動であるように感じます。でも当時に生きていた彼らはどのように感じていたのか。このような歴史のターニングポイントをあつかうとき、想像することができないほどの想いがそこにはあるような気がしています。そんな歴史コラム第30弾はじめます。

【今日は何の日】 「時代を駆け抜けた坂本龍馬の想いとは…」

1867年7月13日、京都に向かう船の上で坂本龍馬が、古い幕府の政治ではなく、新しい日本の政治を考えてまとめた「船中八策」が記されました。

坂本龍馬は地元の土佐藩にいた頃は、尊王攘夷をかかげる土佐勤王党に参加していました。のちに土佐藩から去り、勝海舟をはじめ幕府の要人と出会います。また土佐藩の同志や幕末の志士たちとの交流もこの頃です。勝海舟がたてた神戸海軍操練所では中心人物となって活躍します。

その頃の情勢は幕府を倒そうとする長州藩とそれを阻もうとする薩摩藩の対立が深まっていました。
神戸海軍操練所が廃止されたのち、拠点を薩摩藩に移した龍馬は、株式会社であり政治組織でもある亀山社中を設立しました。のちの海援隊です。中岡慎太郎と行動をともにするようになったのもこの頃で、ともに力をもつ薩摩藩と長州藩を結びつけて幕府に影響を与えるため奔走しました。これが有名な薩長同盟です。

薩長の盟約を結びつけた龍馬は京都の寺田屋で襲撃されますが、恋人のお龍の知らせで逃げることができました。その後、海援隊が関わる海難事故の処理を終えた龍馬は、いよいよ幕府へ本格的な働きかけを狙って、1867年7月13日、将軍はじめ要人たちが集まる京都へ船で向かったのでした。

これまでたったの5年間。まさに激動の時代だったと言えると思います。
この船中八策をもとに大政奉還後に「新政府綱領八策」を作成しています。これは明治新政府の基礎となっています。「新政府綱領八策」でおもしろいのは、後半部分に「○○○自ラ盟主ト為リ」に伏字があるところです。これを見る人々が自由に名前を入れて読むことができるようにしたといわれています。龍馬の想いを想像したくなります。

船中八策の内容は「大政奉還」「上下両院の設置による議会政治」「有能な人材の政治への登用」「不平等条約の改定」「憲法制定」「海軍力の増強」「御親兵の設置」「金銀の交換レートの変更」の8つでした。
いまでは当たり前に考えられるものですが、当時は全てが画期的でした。

龍馬暗殺の5カ月前の出来事です。
(日付は新暦です)

【今日の名言】 “人には余裕というものが無くては、とても大事はできないよ”

勝海舟の言葉。現代のひとは当時を激動の時代というけれど、勝海舟や坂本龍馬はどのように感じていたのだろうか。

【今日のことわざ】 “人生意気に感ず”

意味は 「人は相手の気持ちの潔さに心を動かされて仕事をするもので名誉や欲のためにするものではない」 ということ。行動の原動力は気持ちです。

About The Author

ウルサイ株式会社,モバイルスクール学校長,歴使家多賀 健太郎
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と病床の幕末の志士が読みました。
看病していた尼が「すみなすものは心なりけり」と返しました。
ぼくはあなたにとってそんな尼のような人間になりたいと思っています。
すべては自分のこころしだい。

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