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鎌倉幕府はいつ成立した?

約 3 分

【今日は何の日】 「鎌倉幕府はいつ成立した?」

1192年8月21日、源頼朝が征夷大将軍に任命されました。
世に言う「いいくにつくろう鎌倉幕府」、その日です。

源頼朝は、北条氏や平氏など有力な一族との権力争いに勝ち残り、関東地方を拠点に勢力を広げていきました。弟の義経と東北地方の奥州藤原氏を滅ぼして、ついに全国を平定し、関西地方の朝廷からは半ば独立した政権を開きました。これが鎌倉幕府なのです。

「幕府」というのは武士の陣地のことです。武士は戦のときに、将軍が部下に指示を出すための陣を構えます。陣は家紋などが描かれた「幕」で囲われています。そこでは戦に勝つことを目的とした様々な事務作業がおこなわれていて、まるで仮設の役所のような場所でした。「府」という字は役所のことを意味します。
「幕府」とは、武士の陣地から転じて、「武士が政治をおこなう場所」という意味になるのです。まさに「武家政権」を表すのにふさわしい言葉なのです。

朝廷と幕府の関係を理解できないまま勉強を進めて、よくわからないうちに明治維新によって武家政権が消滅してしまう学生が多いような気がします。日本史を勉強していて鎌倉幕府以降の公家政権の「朝廷」と武家政権の「幕府」の関係は確かにわかりずらい。いまの日本にはないことだから想像しにくい。でも当時の日本はその状態を、微妙なパワーバランスを、およそ680年間も続けていたのです。

鎌倉幕府に話を戻すと、最近の学校の教科書では「いいくにつくろう」が通用しないことを知っている人は少なくないと思います。そもそも「幕府」という言葉は、江戸時代中期以降に使われるようになったものです。当時、日本に初めて武士の政治的組織が誕生したので、どの時点を基準にそれをスタートとしたかはわかりません。「幕府」という言葉と同じで、後世の人間が決めていることなのです。いままでは、源頼朝が武士の最高権力者である「征夷大将軍就任」をもって幕府がスタートしたと考えていました。最近では、頼朝が「事実上東国支配を達成」した1180年説、「朝廷が頼朝の東国支配を承認」した1183年説、頼朝が政治をおこなうための「行政と裁判の機構を成立」した1185年説、「奥州藤原氏を滅亡」した1189年説など。

鎌倉幕府は0から突然発生したのではなく、様々な状況が積み重なって、朝廷を凌ぐ政治組織として段階的に成立したと考えることができるのです。

歴史の教科書や年表を見ていると、突然出てくる出来事ですが、その前後にはたくさんの伏線があり、ドラマがあるのです。だから歴史はおもしろい。
(日付は新暦)

【今日の名言】 “大事を思ひはからふ者、物とがめをせず、事ならぬことを事になさず。”

源頼朝の言葉。
大きなことに挑もうとする人は、小さなことを咎め立てせず、ささいなことを取り立てて問題にはしない。

【今日のことわざ】 “判官贔屓”

意味は 「弱者や薄幸の者に同情し、味方したり応援したりする」 ということ。
源義経が兄の頼朝に、その実力をねたまれて殺害されたことに、人々が同情を寄せたことからが由来です。

About The Author

ウルサイ株式会社,モバイルスクール学校長,歴使家多賀 健太郎
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と病床の幕末の志士が読みました。
看病していた尼が「すみなすものは心なりけり」と返しました。
ぼくはあなたにとってそんな尼のような人間になりたいと思っています。
すべては自分のこころしだい。

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