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ルースが建てた家、ヤンキー・スタジアム

約 4 分

【今日は何の日】 「ルースが建てた家、ヤンキー・スタジアム」

1923年4月18日、ニューヨーク・ヤンキースの本拠地の野球場として建設されたヤンキー・スタジアムが対ボストン・レッドソックス戦ではじめて開場した日です。

ヤンキースは前身球団から本拠地移転から名称をニューヨーク・ヤンキースに改称した1913年、野球場はニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)とポロ・グラウンズを共用していました。しかし1920年、ベーブ・ルースがレッドソックスからヤンキースに移籍し、54本塁打をマークする大活躍で一気にスター選手になりました。ヤンキースの年間観客動員は「ルース効果」で大リーグ史上初めて100万人を突破。これに気分を害したジャイアンツの監督によって「ヤンキースは1921年以降にポロ・グラウンズを使うな」と通告されてしまいました。
そこでヤンキースは本拠地となる新球場建設に向けて動き出します。最初はマンハッタンへの建設が検討されましたが地価が高く断念し、次の候補地としてあがってきたのがブロンクス区でした。土地の購入から球場の完成まで1年もかかることなく、4月18日、こけら落としとなる試合が開催されました。ベーブ・ルースの人気も手伝って当日はおよそ74,000人の観衆が集まり、さらに20,000人ほどが球場に入りきれなかったといわれています。この試合は4対1でヤンキースが勝利して新球場開場に華を添えました。

開場後まもなくの1927年にはベーブ・ルースがセネターズ戦で大リーグ史上初のシーズン60本塁打を記録、また1929年には大リーグ史上初めて背番号の入ったユニフォームをヤンキースが着用した球場でもあります。これは開場と同じ4月18日のことでした。1939年には難病のため引退するルー・ゲーリッグの引退式が行われるなど、その他数多くの大リーグ記録がつくられた場所。
ヤンキースの低迷期には閑散とした時期もありましたが、1996年にヤンキースが15年ぶりのリーグ優勝、そして18年ぶりの世界一を手にして復活を果たし、しばらく20,000人台だった1試合平均の観客動員数が、世界一に輝いた翌年の1997年からは30,000人を下回らなくなりました。2003年以降には観客動員数が全30球団中1位になりましたが、それでもなお観客動員数は伸び続け、球場移転の話が急速に具体化することになります。

2009年に新ヤンキー・スタジアムが完成すると、従来のヤンキー・スタジアムは2008年のシーズンをもって閉鎖されることが決まりました。その年に開催されたMLBオールスターゲームは延長15回まで長引き、オールスターゲーム史上最長の4時間50分にわたって熱戦が繰り広げられました。まるでその試合が球場との別れを惜しむかのように。

ヤンキース・スタジアムは設立の経緯やその後の活躍の場所ともなったことから、「ルースが建てた家」という異名を持っています。現在は跡地にヘリテージフィールドという公園が整備されています。

【今日の名言】 「ここで初めてホームランを打ったのは僕だけど最後に打つのは神様しか知らない。」

ベーブ・ルースがヤンキース・スタジアムで初本塁打を放ったときに残した言葉。
ベーブ・ルースといえば様々な記録を残している。12回の本塁打王、生涯本塁打714本、投手と打者を本格的に行う二刀流で2桁勝利&2桁本塁打を達成するなど。その彼は野球殿堂入りを果たしています。
野球の神様ベーブ・ルースの名前は、昨今の大谷翔平選手の活躍の中で、よく目にするようになりました。2014年9月には日本ハム時代の大谷翔平選手は10号本塁打を放ち10勝10発のベーブ・ルース以来の偉業を達成。実に96年ぶりのこと。さらにエンゼルスに移籍したばかりの大谷翔平選手は、4月1日のアスレチックス戦で初先発初勝利。勝利から2日以内に出場した試合で、初回に本塁打を放ちました。1921年6月のベーブ・ルース以来97年ぶり。大谷翔平選手は確実に野球の神様に近づいています。

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ウルサイ株式会社,モバイルスクール歴使家Kentaro Taga
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と病床の幕末の志士が読みました。
看病していた尼が「すみなすものは心なりけり」と返しました。
ぼくはあなたにとってそんな尼のような人間になりたいと思っています。
すべては自分のこころしだい。

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