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地図の日 -伊能忠敬の最初の一歩-

約 3 分

【今日は何の日】 「地図の日 -伊能忠敬の最初の一歩-」

4月19日は「地図の日」です。その由来は下総国の商人で測量家でもある伊能忠敬、そして彼が17年に渡って全国を測量し完成させた『大日本沿海輿地全図』にあります。彼の功績は国土の正確な姿を明らかにしたことです。

暦学や天体観測を学び、1800年、55歳にして測量の旅に出た伊能忠敬。しかし測量は幕府の事業、つまり国家事業です。そして作成された地図は国家機密レベルの重要文書になります。例えば1828年におきたシーボルト事件は、まさに『大日本沿海輿地全図』をドイツ人医師のシーボルトが国外に持ち出そうとして逮捕された出来事。伊能忠敬が測量事業に関わり、実際に測量の旅に出ることができたのは、諸外国の外交圧力が強まっていた時代背景と、50歳にして師事した幕府の役人で天文学者の高橋至時の推薦があったのです。

伊能忠敬の勤勉さや優秀さもあったのですが、この師弟関係に注目すると彼の測量に対する情熱が伝わってくると思います。伊能忠敬は50歳、対して師匠の高橋至時はなんと31歳。伊能忠敬が江戸の学者たちに暦学の難しい質問をした際に答えることができたのは高橋至時のみ。これが弟子入りのきっかけと伝えられています。また弟子入りの際には公務で忙しい高橋至時をつかまえて必死に懇願し入門を認めさせた熱意の持ち主なのです。

幕府から蝦夷地測量の許可が下りたのは1800年の4月14日。準備を整えた4月19日、伊能忠敬は数人の付き人を連れて自宅を出発したのです。

最初の一歩の日。

伊能忠敬の歴史的評価は高いですが、後世になって伊能忠敬の人間性にも注目されています。1970年代には、隠居後に新たな挑戦を始めた「一身にして二生を得る」という伊能忠敬の生き方に注目した小説が登場するなど、平均寿命が延びた時代において、退職後の人生を送るにあたって忠敬の生き方は手本になると言われています。

伊能忠敬は「中高年の星」や「人生を二度生きた男」とも呼ばれるようになっています。

【今日の名言】 「人間は夢を持ち、前へ歩き続ける限り、余生はいらない。」

伊能忠敬の言葉。寿命100歳の時代。200年前に余生を考えずに夢を持って生き抜いた伊能忠敬から感じるものは大きい。

About The Author

ウルサイ株式会社,モバイルスクール歴使家Kentaro Taga
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と病床の幕末の志士が読みました。
看病していた尼が「すみなすものは心なりけり」と返しました。
ぼくはあなたにとってそんな尼のような人間になりたいと思っています。
すべては自分のこころしだい。

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