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紅茶王と呼ばれた男

約 4 分

ユニリーバ・ジャパンが制定した紅茶ブランド「リプトンの日」

5月10日は「リプトンの日」。紅茶のブランド「リプトン」を展開するユニリーバ・ジャパンが制定しました。創業者トーマス・リプトンの1848年の誕生日であり、リプトンが1871年に最初の食料品店を開いた日でもある5月10日は、上質な紅茶を楽しむ日とされています。

トーマス・リプトンはイギリスが誇る紅茶ブランド「リプトン」を創業し、当時としては画期的な流通を実現することで成功を納め、「紅茶王」と称されるまでになりました。

リプトン創業者トーマス・リプトンが紅茶王になるまで

トーマス・リプトンは裕福な家庭に生まれたわけではなく、小さな頃から自力で学費を稼ぎながら夜学で学び13歳で蒸気船の船員になりました。15歳で単身渡米し3年間懸命に働き、イギリスに帰国。
帰国後は父親の仕事を手伝っていましたが、チェーン展開と広告が成功の鍵になると目をつけたトーマスは1871年5月10日に自分の食料品店を開きました。トーマスは話題作りに長けていて、広告マンとしての能力を発揮して、1890年にはイギリス大都市を網羅する小売ネットワーク網をつくりあげました。

その後19世紀後半の「紅茶ブーム」に合わせて紅茶ディーラーがトーマスの店「リプトン」にも売り込みにきましたが、中間業者を間にいれずに直接買い付けることで利益ができることがわかりました。そこで茶の専門家を雇い、高級品だった茶葉を労働者階級でも飲めるようにし、紅茶ブームにさらに拍車をかけたのです。

そしてトーマスはセイロン島を訪れ、茶葉農園を買い取り、紅茶の栽培経営を開始して、セイロン島の生産能力を上回る需要を喚起して茶市場を独占。食品商社としてよりも紅茶商としての名声を高めることになりました。その功績を認められ1895年に「英国王室御用達の茶商」の勅許状を与えられることになり、名実ともに「紅茶王」として事業を継続したのです。

イギリスと紅茶の歴史にある「茶法」

紅茶といえばイギリス。高価な嗜好品である紅茶は、イギリスの食文化に欠かせない食品なのです。トーマスがその点に目をつけてイギリスで成功したのは商売の才能があったことのあらわれでしょう。

イギリスと紅茶の歴史には「茶法」という法律があります。その内容は、アジア貿易を目的に建てられた勅許会社の東インド会社が通常の関税なしに紅茶を売ることを認めるものです。この法律が成立したのは1773年の5月10日、偶然にもリプトン創業のおよそ100年前の同日でした。当時イギリスの植民地だったアメリカの13の地域の人々は紅茶貿易などで生活の糧を得ていたので、紅茶に関するこの法律や東インド会社、ひいてはイギリス本国に対する不満は高まり、アメリカ独立戦争の多くの原因のひとつになっているのです。

今日のまとめ

高価な紅茶とイギリスとの関係の転換期をつくったと言っても過言ではないトーマス・リプトンは、紅茶商として成功をおさめて得た多額の財産の多くは慈善団体に寄付したり、貧しい子どもたちに紅茶を配るなど慈善事業に熱心な一面もありました。その結果、1898年にはヴィクトリア女王からナイト爵位を与えられ、現在でも「サー・トーマス・リプトン」と呼ばれることが多くあります。

また彼はスポーツマンとしても知られ、アメリカのヨットレースやサッカーのリプトン杯などスポーツ振興にも貢献していました。彼のような大富豪ではなくても商売で得た利益を社会に還元することは良いことです。それが寄付であれ、ボランタリーな活動であれ、結果的に世の中をより良くしていくことにつながり、生産的な仕事に再び良い結果をもたらすだけでなく、精神的な健康を保つことにもなるのだと思います。

今日の名言

「宣伝のチャンスは決して逃すな。ただし、その商品の品質が良いことこそが、その条件である。」
トーマス・リプトンの言葉。彼の成功は、商社マンとしての目利きだけではなく、広告マンとしての奇抜な宣伝戦略によるものでした。

About The Author

ウルサイ株式会社,モバイルスクール歴使家Kentaro Taga
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と病床の幕末の志士が読みました。
看病していた尼が「すみなすものは心なりけり」と返しました。
ぼくはあなたにとってそんな尼のような人間になりたいと思っています。
すべては自分のこころしだい。

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