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セブンイレブン1号店オープン

約 3 分

コンビニエンスストアの「セブンイレブン」の1号店がオープンした日

5月15日は、44年前の1974年にコンビニエンスストアのセブンイレブンの1号店が豊洲にオープンした日です。日本初のコンビニと思われることも多いですが、諸説あるなかでも有力なものは2016年に閉店した愛知県にあったコンビニエンスストア「タックメイト藤山台店」と言われています。
セブンイレブンは、日本におけるコンビニ最大手で、チェーンストアとしても世界最大の店舗数を展開している企業で、おそらく知らない人はほとんどいないでしょう。しかし、セブンイレブンがアメリカ発祥のコンビニエンスストアだと知っている人は少ないのかもしれません。

銀座や原宿ではなく豊洲を選んだ理由

1973年にイトーヨーカ堂がアメリカ本社のサウスランド社と契約したことが日本のセブンイレブンのはじまりです。翌年には1号店になる「豊洲店」がオープンしますが、この豊洲店はもともと「山本茂商店」という酒屋。コンビニエンスストア展開の基本となっているフランチャイズに初めて応募したのが「山本茂商店」の店主、山本憲司さんでした。初日の利用者は約800人と言われています。この1号店には当時のダイエー社長や他社スーパーの幹部もよく視察に訪れていたそうです。
豊洲はいまでこそ開発も進み人が集まり、築地市場移転などで注目も集まる街ですが、当時は地下鉄も通っていない工場と空き地の埋立地でした。銀座にオープンしたマクドナルド1号店や原宿のドトール1号店などに比べると立地が見劣ります。その背景には1973年から始まったオイルショックによる物価の高騰があります。

フランチャイズの理念は共存共栄

当時、出店場所を検討していたイトーヨーカ堂の株式会社ヨークセブンに、酒屋店主の山本さんは手紙を送ったそうです。山本さんは病死した先代の跡を継いで、大学を中退してまで家族を守るために働いていました。しかし開発前の豊洲の小さな酒屋では配達するだけで精一杯で利益はでず、ある日たまたま目にしたセブンイレブンの新聞記事を読み、「うちの酒屋をコンビニに改造することはできないか」と打診したのです。
まだまだ得体の知れないコンビニ事業に挑戦することは山本さんにとっても、それこそヨークセブンにとっても大きな賭けだったと思います。立地の良い場所は数が限られていて、数が限られているからこそ土地代も高くなります。どんなに良い場所でも土地代が高ければ利益を出すためのハードルは上がってしまいます。セブンイレブン1号店の豊洲店は、はじめての業態への挑戦や立地の困難さなど様々な問題を抱えながら始まりましたが、コンビニのシステムであるフランチャイズ、またその理念である共存共栄をもって、二人三脚で1号店を軌道に乗せ、2年後の1976年には、ヨークセブンはセブンイレブン国内100店舗を達成するのです。

今日の名言

「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビつき、だめになる方がずっと多い。」
世界ではじめてフランチャイズというビジネスモデルを展開したといわれているケンタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダースの言葉。

About The Author

ウルサイ株式会社,モバイルスクール歴使家Kentaro Taga
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と病床の幕末の志士が読みました。
看病していた尼が「すみなすものは心なりけり」と返しました。
ぼくはあなたにとってそんな尼のような人間になりたいと思っています。
すべては自分のこころしだい。

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